北川健次: コラージュ〈イメージの錬金術として〉

[ 2013年6月3日 ]

 最近の私が集中的に取り組んでいるのは<コラージュ>である。銅版画やオブジェが持つ禁欲性から解き放たれたように、コラージュは私をして、私の内なるイメージの官能性を前面へと押し出し、謎を謎のままに宙吊りとして、あたかも<書かれなかったロマネスク異聞>を書き記すかのようにして、消え去りそうな寸秒夢の定着を可能にしてくれるのである。

 コラージュの来歴を西洋の近代史に沿って見れば、先ずはピカソに始まり、エルンストが詩学にまで高め、かのコーネルは、ダリやエルンストから想を得て霊性を帯びた深いヴィジョンを呈示した。しかしこの国にそのルーツを辿れば更に古く(方法論という認識はなくとも)、扇面図屏風や若冲の<部分>にそれを見てとる事も可能なのである。

 異なった文脈のイメージの断片を切り取って強引なままに統一化し、そこから新たなる位相のヴィジョンを立ち上げるという、このコラージュと言う手法は、私たちが見る夢の構造にも似て、私たちを日常性から引き離し、深層に棲まう今一人の自分との対面を可能にしてくれる、一種イメージの錬金術のごとき秘法なのであるまいか・・・。私は作りながら、その事を想い、作り上げた後も又、改めてその事をありありと実感するのである。私という存在を中心にして、ギリシャ、ルネサンス、バロック、ロマネスク、シュルレアリスム、そしてダダといった美術史上のイデアはことごとく等距離の円状に並んで私のイメージの具となり、私はそこに<現在>という時世粧を絡ませながら、一人独自の美学(更には詩学)を立ち上げるべく試みを続けている。コラージュこそは、私の内なるポエジーを直接的に具現化してくれる、手応えのある方法論なのである。

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