野田雄一

[ 2012年12月22日 ]

こどくな亀のように 花咲く海の中を泳いでいる
誰れにも知られることもなく 誰れのために
何をすることもなく 我が身一つの王国がある
1992年9月20日 (富山にて 真一)

今「かつの恋」の絵を見つめながら、私が22年前に斎藤先生のアトリエ近くに住んでいた頃の出来事が浮かんできた。
夜中に突然「太宰治が入水した場所を知ってるか、これから行こう」といって、先生と共に玉川上水路を朝がたまで歩いた。絵で一番大切なのは感情ではなく情感だ。焦がれるような思いだ。どうにもならぬ生活の裏付けとして、にじみ湧くものだよ。と、ポツリポツリと口からこぼれ出たひとつひとつの言葉を今、あらためてかみしめている。
友人の青井氏と天満屋岡山店での「斎藤真一展」会場を訪れたのは1980年7月6日で、斎藤先生58歳の誕生祝いの日であった。会場は、バイオリンの音色が漂い例えようのない異空間、しばらくの間平衡感覚を失ってフワフワしていたという記憶がある。その日は形容する言葉が見つからないまま会場を後にした。
しかし、妙に気がかり、何かたまらなさを感じて次の日も足を運んでいた。そこには人間が常に背負っている宿命的な、いかんともしがたい愛と離別、生と死、その哀感があり瞽女という盲目の女旅芸人とともに十余年のさすらいの旅をした斎藤真一の世界があった。
ずしんとした重ぐるしいほどの密度のある赫い絵。時間の過ぎるのを忘れていた。どこか遠い記憶が蘇ってくるように思えた。懐かしさなのだろうか?そのうち「かつの恋」という一枚の絵に心奪われ、のめり込んでいた。その後幾度となく、徳島の下宿から岡山へ足を運んでいた。
当時の私は捨て鉢な暗い青春を過ごしていた。何回目かの宇高連絡船の中で「瞽女=盲目の旅芸人」(第21回日本エッセイストクラブ賞受賞)の「人間というものは生きる喜びに焦がれ焼けつくような事を求めながらも、ある日瞬時にして事が切断されてしまう運命に置かれている」という一節に、心を惹付けられていた。
私にとって遠い闇の中の明かりの懐かしさを感じ、と、同時に生ある時にしっかりやろう、そして楽しもうと、その時心のよりどころとして、この絵が欲しいと思った。

人はいったい一生の間で、自分を変えてしまうような人に何人逢えるのだろう。「心というものは、接しふれあい、共感しあって初めてつたわるものだろう。それは教えられるものではない。結局は、そういう心の出逢いがなければわからないことだろう」と真一氏は瞽女さんと共に、一歩一歩と自分の足のうらでたしかめて知った道のりで真実を見ぬいたのだろう。
近代物質文明という暗くて長い迷路に迷い込み病んでいる現代社会を考える時、「師は、自然よりほか何もない」と語った斎藤真一の世界が今こそ必要だと切に思う。

2004年8月 野田雄一記
(のだ ゆういち/ガラス造形作家・富山ガラス造形研究所教授)

 

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