2016年1月のアーカイブ


[ 渡辺 千尋 ] 「渡辺千尋 復刻の聖母」展が練馬区立美術館で開催。

[ 2016年1月25日 ]

不忍画廊2014年最初の企画展は「渡辺千尋 “象の風景、ふたたび。”」
練馬区立美術館で開催中の展覧会期後半に合わせて企画。まず美術館展示風景をご紹介致します。
(美術館の許可を得て、撮影・公開しております)
★ ★ ★

「渡辺千尋 復刻の聖母」
2013.11.30~2014.2.9
会場:練馬区立美術館





↑ ビュラン

代表作〈象の風景〉シリーズが収録された渡辺千尋銅版画作品集『象の風景』 1988年刊行
翌(1989)年ポーランド、チェコ等で個展開催、日本でも東京、長崎、大阪で開催され
<象の風景>シリーズは、チェコ国立美術館に収蔵される。 没後、多数の国内の公立美術館にも収蔵される。

<象の風景>シリーズ


展示室中央にはグラフィックデザインの仕事や初期ドローイングを展示。




<象の風景>シリーズの代表作

↓ 「セビリアンの聖母」の復刻を綴った『殉教(マルチル)の刻印』2001年小学館刊。
第8回小学館ノンフィクション大賞優秀賞受賞

↓ 練馬展開催に合わせ復刊
『殉教の刻印』2013年12月 長崎文献社刊行

『殉教の刻印』原稿



1996年、長崎県有家町(現南島原市)の依頼により日本最初の銅版画「セビリアの聖母」を復刻
渡辺千尋 彫り/摺り による「セビリアの聖母」とその原版


渡辺千尋ポートレイト(撮影:鬼海弘雄)

[ 渡辺 千尋 ] 練馬区立美術館「渡辺千尋 復刻の聖母」 中林先生のゲストトーク①

[ 2016年1月24日 ]

2013年12月21日(土)14:00~ 練馬区立美術館「渡辺千尋 復刻の聖母」展会場にて
中林忠良先生(版画家・東京芸術大学名誉教授)によるゲスト・トーク①

 


『渡辺千尋 銅版画カタログ・レゾネ(2010刊行)』は、渡辺千尋遺作管理会の中林忠良先生が中心となって作成されました。
日本の現代版画界を長らく牽引され東京芸大名誉教授、日本版画協会理事でもある中林先生と
東京での版画関連の団体、美術大学の仕事とあまり関わっていなかった渡辺千尋との意外な接点は
400年以上前、日本銅版画史の第一歩に関わる重要な仕事に携わった事でした。
渡辺千尋は日本最初の銅版画復刻、中林忠良先生は銅版画印刷機復元制作の監修、
日本の銅版画史だけでなく、キリスト教史、当時の日本と西洋との文化・政治の交流についてなど、
様々な角度から関係資料を調査し、わずかな資料を元に確信を得るために渡航したりと、
依頼された仕事の範疇を超え、宿命的な仕事を成し遂げた銅版画家ならではの信頼関係が築かれていったのかもしれません。

★ ★ ★ ★
トークではまず、渡辺千尋の類まれなビュラン技術についてのお話しから。
ビュラン(彫り)はエングレーヴィングとも言われ銅板に直接ビュランという下記図のような彫刻刀で彫る最も古典的な技法です。
身近なところでは貨幣(千円札や1万円札)がこの印刷手法で作られています。
千尋氏は体力・集中力がベストな時期、僅か1㎜の中に10本以上の線が描けたそうです。

中林先生はギャラリートークに集まったお客様用にビュランで彫られた小さな銅板原版と、その線描を印刷した紙を数十人分をも用意して
このビュランについて、わかりやすく解説されていました。

会場内では復刻された日本最初の銅版画「セビリアの聖母」と、その「原版」を見ながら解説。


↑ 渡辺千尋「セビリアの聖母」(復刻した銅版画)

↓ 渡辺千尋著『殉教(マルチル)の刻印』について解説する担当学芸員の小野さんと中林先生。


著書『殉教(マルチル)の刻印』は、日本最初の銅版画「セビリアの聖母」復刻までの全過程を特に銅版画家としての鋭い視点で書き綴っています。
上記の本は第8回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を本を練馬区立美術館の会期に合わせ、長崎文献社より復刊されました。

<概要>
「セビリアの聖母」がセミナリオの画学生によって制作されたのは1597年、同年、世界を震撼させた大事件・二十六聖人の殉教がありました。
殉教の地「西坂の丘」は、少年時代の遊び場であったことを知った渡辺は「復刻は自分に与えられた必然的な仕事」として受諾する事となる。
「セビリアの聖母」復刻にあたり、400年の歴史の溝を埋め、制作者であるセミナリオの画学生の気持ちに少しでも近づく為、
渡辺千尋は、二十六聖人殉教の道・大阪~長崎を、同じ28日間という日程で歩き通します。

*現在、二十六聖人が殉教した丘には彫刻家・舟越保武作「二十六聖人像」があります。
数年前、これを見に行った際の写真を紹介します。

↓ 裏側の石塀


↓ 側面

二十六聖人像近くの木陰で眠る猫。

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「渡辺千尋 復刻の聖母」展(練馬区立美術館)
http://www.city.nerima.tokyo.jp/manabu/bunka/museum/tenrankai/watanabe.html

[ 渡辺 千尋 ] 渡辺千尋の仕事《パート1》 (長崎県美術館 2014.3.14~6.8)

[ 2016年1月20日 ]

長崎県美術館で開催中の「渡辺千尋の仕事」(2014.3.14~6.8)に行きました。エングレーヴィング作家・渡辺千尋(1944~2009)14歳~高校卒業までを長崎で過ごし、後年は「東京出身」より「長崎育ち」を公言してました。多感な時期を過ごした長崎、 その場所で展示を見る事は非常に重要です。
渡辺の回顧展は、昨年末~今年初まで練馬区立美術館 で開催され日曜美術館アートシーンでも取り上げられました。会期後半には当画廊でも2014年1‐2月にかけて 「渡辺千尋―象の風景、ふたたび。」を開催、その作品世界を初めて知った多くの来客があり大変話題となりました。

美術館は日本設計と隈研吾氏が手がけ、グッドデザイン賞など多くの建築賞を受賞した美しい外観、展示室を結ぶ渡り廊下の下には水路が流れています。

 

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まず今企画を通して、長崎で最も重要なアーティストの一人と位置付けた長崎県美術館学芸員・福満葉子氏が執筆・編集した展覧会カタログを紹介します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

福満氏は、代表作「象の風景」シリーズについて、1988年刊行『象の風景』に収録された劇作家・別役実のテキストや、ダリやゴヤの戦争にまつわる作品との対比などから、作家自身の口からはほとんど語られていない“原爆”との関連性を深く考察しテキストにまとめています。
(『渡辺千尋の仕事』カタログより、「象の風景」-あるいは災厄の表象―別役実『象』との関わりから/福満葉子)

また友人のエングレーヴィング作家・門坂流との対談(於:2009年 松明堂ギャラリー)がカタログ14頁も使って採録されています。
二人の生い立ちから作家になるまでを各自応答する公開対談を文章化したものですが、ビュランの名手である二人の芸術家としての資質がこの対談を通しても良くわかります。特に、門坂が渡辺作品と原爆(長崎)との関連を聞いた際の(あえてそうしているかのうような)渡辺のあまりにそっけない返答について、かえって語っていない部分にこそ「何か」が隠されてあるように思います。お互いの作品を評価しながらも「ここだけは譲れない」という信念を持つ二人の対談は、普通に読んでも非常に興味深いものです。ご興味のある方には是非一度読んで頂きたい。
展覧会カタログ『渡辺千尋の仕事』 2014年3月14日 長崎県美術館発行、執筆・編集:福満葉子、デザイン:納富 司デザイン事務所

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展覧会場入口

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第1室《象の風景》
代表作「象の風景」シリーズ全9点が展示されています。

手の写真は林明彦撮影によるビュランと渡辺千尋の手。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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第2室《エングレーヴィング》
1978年から始めたエングレーヴィング最初の作品「奇妙な珍客」から展示が始まり、「無辺(Infinity)」で締めくくっています。

上図:「風の棲家」2点(右:初摺り、左:決定摺り)の違いは中央下やや左よりに描かれた卵の描写。初摺りでは楕円形の断面図のようなものでしたが、決定摺りでは白い「卵」に変わっている。
下図:第4室に「風の棲家」の原版と段階摺りが展示されていますが、原版を見ると、初摺りで断面のようだった卵の部分をキレイにつぶし、丁寧に平らにしている事がわかります。それにしてもこの「卵」は何を暗示しているのでしょうか。

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第3室《メゾチント》
1998年以降、渡辺はエングレーヴィング作品を制作しておらず2001年より急にメゾチント作品を発表し始めます。
最初に1点のみで展示されている独特のブルーが美しい、メゾチントの代表作「長崎情景」。青春時代を過ごした西坂から26聖人像のある丘を見渡した風景です。牡丹の花が偶然にも26個描いていたことを摺りあがった後に気付いたそうです。


下図「そら豆」、カラーとモノクロームで制作された作品もあります。
底から光が放出され、深い闇に浮かぶ未確認飛行有機体のように不思議な存在感を醸し出す小さな秀作です。

没後カタログレゾネの編集に関わった渡辺千尋遺作管理会、銅版画家の辻憲氏から「渡辺さんはこれから誰も作っていないようなメゾチント作品を作ろうとしていた」と伺った。
「メゾチントとエングレーヴィングの両手法をミックスさせた、誰も制作していない(出来ない)作品を作ろうとしていたのではないか」


第3室《メゾチント》

下図の作品「象へ 2004」は、「象の風景」シリーズをメゾチント手法でリメイクしているような異様な風景ですが、版画技術のレヴェルアップにより更に重々しく表現されています。この作品群を2004年の新作展で見た際の私の記憶は、エングレーヴィングでの「象の風景」は非常に硬質であったのに対し、メゾチントで描いたこの風景がドロドロとした粘着性、湿度のある作品に変わってしまったと思った。しかし渡辺にとって再び「象」を主題にして作品へ向かう事は、相当強い思いがあって制作したに違いないと今は思っている。果たして、作家のその思いに寄り添える観客はいるのだろうか・・・。

パート2に続く。

 

「渡辺千尋の仕事」
会期:2014年3月14日~6月8日
会場:長崎県美術館

 

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[ 渡辺 千尋 ] 渡辺千尋の仕事《パート2》 (長崎県美術館 2014.3.14~6.8)

[ 2016年1月19日 ]

長崎県美術館「渡辺千尋の仕事展」2014.3.14~6.8《パート2》

《パート2》
銅版画家だけでは収まりきらない渡辺千尋の才能について、スペースを広く使って紹介していました。
1.ビュランに出会う前の仕事/ドローイング
2.デザイナーとしての仕事/本の仕事(装幀など)
3.2冊の著書/『殉教(マルチル)の刻印』、『ざくろの空 頓珍漢人形伝』関連資料

<1.ビュランに出会う前の仕事/ドローイング>
渡辺千尋はビュランに出会う1978年(34歳)まで、油彩、水彩、ペン画など様々な画材で描いていた。
特に人や身体をモティーフにしたモノクロームのドローイング(ペン画)がその資質に向いている表現手段であった。
今展示では1968~78年のドローイングも数多く展示された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『マッドイラスト大特集』で赤瀬川源平、中村宏ら8作家とともに選出。
日本を代表する鬼才を押しのけ、巻頭特集に選ばれている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自費出版した画集『反吐/1970年』掲載のドローイングの原画など

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

右手前のドローイング:初期エングレーヴィング「卵夢」1978 の下絵。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エングレーヴィング作品1点を完成させるまで
何枚もの段階摺りや手彩によって完成に近づけていく
「空の森/1987年」の下絵や段階摺りなどの展示。

 <2.デザイナーとしての仕事/本の仕事(装幀など)>
食べて行く為の手段”であるデザイナーの仕事は
絵を描きたくて仕方ない渡辺にとっては「自分の身が引き裂かれるような思い」であったという。
しかしプロのデザイナーの仕事の中で得たモノも大きかったのでないだろうか。
展示された数百種類の本の装丁は、渡辺の感性の鋭さを示している。

・同時代性を取り入れたデザイン
・格調と品のある普遍的な美を追求した装幀
・自作の銅版画やドローイングを、トリミングしたり反転させる

アーティストとして、エングレーヴィング(ビュラン)の仕事を完成作とするならば、
デザイナーの仕事ではポップな色彩を多用したり、
様々な様式・意匠の実験を試したり、
アーティストとして、仕事の糧として、
とても上手くバランスを保っていたのではないかと思ってしまう。
(おそらくどちらの仕事も最高レヴェルの仕事をしているに違いないだろうが。。。)


木村伊兵衛の全集、
ちくまライブラリーのデザイン、
小沢昭一監修の『藝能東西』の装丁、
レコードジャケットなど、優れたデザイナーとしても類まれな才能を発揮する。
<パート3>へ続く。

 

 

 

 

 

 

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