林 倭衛 展 ~残された画帖をひらく~

[ 2019年3月1日 ]

会 期 : 2019.3/4(月)~16(土) 11:00~18:30 日曜休廊

代表作「出獄の日のO氏」(長野県信濃美術館所蔵)を出品した「没後50年 林倭衛展」(1996)以来、当画廊では二度目の遺作展となります。
今展は長女・聖子さんがずっと大事にされていた十数冊の画帖(スケッチブック)を初公開、一部は手に取って見て頂く予定です。
美術関係者の間では、林倭衛=“肖像画家”(「O氏像」「H氏像」等による)と言われる事が多いのですが、
自由奔放・勝手気ままに生きながら誰からも愛された林倭衛の人間性や本質は、文人画の様な水彩・墨彩画にこそ表れていて大変に魅力的なのです。
桃源世界のような絵、自由自在な線・淡彩で描いた作品など多数展示致します。

「舟人」 水彩画 29.8x42cm

 

「鯰」 水彩画 27.7×36.2cm

 

「少女」墨彩画 28.5×24.3cm

 林倭衛(はやし しずえ)は、1895年現在の長野県上田市生れの画家。15歳頃上京し日本水彩画研究所夜間部で絵の勉強を始める(美術教育はこれのみ)。道路人夫などで働きながらサンジカリズム研究会に加わり大杉栄らアナーキストと交流。1919年第6回二科展に大杉栄を描いた『出獄の日のO氏』(長野県信濃美術館蔵)を出品、撤回するよう命じられるが名を広める事になる。ほとんど正規の美術教育を受けないながら《樗牛賞》《二科賞》を連続受賞、有島生馬に「二科の宝物」とさえ評される。1921?26年渡仏しセザンヌのアトリエを借りて制作する。帰国後は春陽会会員となる。1927年秋田富子と同棲・後に結婚するが1928年小林和作等と再渡欧(1929帰国)、その間に長女・聖子が生まれる。帰国後は千葉県市川、杉並区和田本町、房総半島・鵜原など転々と移住、1941年、埼玉県浦和市別所稲荷台に最後の棲家となるアトリエを構える。1945年1月急死。

《没後:主な回顧展》
1957「林倭衛遺作展」ブリヂストン美術館|1967「林倭衛遺作展」長野県信濃美術館、山本鼎記念館|1988「林倭衛展」長野 ギャラリー82|1996「没後50年 林倭衛展」不忍画廊(※下図の展覧会図録刊行)|2002「デスマスクにみる友情〈時代の共有者〉奥瀬英三・林倭衛展」うらわ美術館|2010「林倭衛・没後65年・その孤愁のゆくえ」キッド・アイラック・ホール|2011「遺作展」信濃デッサン館・槐多庵|2015「林倭衛展」東御市梅野記念絵画館|2019「林倭衛展~残された画帖をひらく~」不忍画廊

今年は関根正二、村山槐多の没後百年、そして林倭衛の代表作『出獄の日の 氏』が描かれてから百年になる、大正画壇の独創傑出個性派自由人の再評価の年なのか…。
二十年以上前(1996年)林倭衛の没後五十年の遺作展はここ不忍画廊(当時は八重洲)で開かれ、その後、明大前のキッド・アイラック・ホール、信濃デッサン館別館『槐多庵』での遺作展と続き、没後70年は画集刊行を記念した東御市梅野記念絵画館での遺作回顧展となった。
そして今再び不忍画廊(現在は日本橋)で開催される。
全ての裏方を務めた者として想うのは、信州の地の縁、人の縁による援護射撃の連続で、奇跡のような匍匐前進であった。
成果はあった、感謝!
今回の展示は水彩や墨彩など紙上のものが主となるでしょう、晩年過ごした浦和市別所付近の田園、湖沼、釣り人や農村の風景などが描かれて、桃源の粋境のごとし。
そして特別出品がある、今回の見ものだ!娘『風紋』の聖子さんが大切に守り続けたスケッチブックの初公開である。
一枚一枚丁寧に捲って見て頂きたい、美術館では絶対出来ないゾ、どんな展示になるか楽しみである。

梅野記念絵画館友の会幹事 近代美術史研究家 コレクター
後藤 洋明

★「没後50年 林倭衛展」図録 1500円+税(残20冊程)

◆展覧会情報が各メディアに掲載されます。
・毎日新聞首都圏版「遊ナビ」3/1 (金)
・朝日新聞 「展覧会情報欄」3/5(火) 夕刊
・週刊ポスト3/4発売号 巻末カラーグラビア連載「坪内祐三の美術評論 眼は行動する」内で紹介。
・月刊美術3月号

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