中村 正義|Masayoshi Nakamura

中村 正義|Masayoshi Nakamura(1924 – 1977)

1924年、愛知県豊橋市生まれ。はやくから将来を期待されていたにもかかわらず、いまだ制度的であった戦後の日本画壇で因習的風潮徹底して退け、モディリアーニやデュビュッフェからポップアートまでを消化して独自のスタイルを確立し貫いた「日本画壇の風雲児」。1964年、小林正樹監督・映画「怪談」劇中画「源平海戦絵巻・全5図」を描き、東京国立近代美術館所蔵となる。1974年には斎藤真一、山下菊二らと人人会を結成し、「人人展」を開催する(現在も継続)。1975年、事務局長として第1回東京展開催。その2年後、1977年に52歳の若さで逝去した。
没後は「異端の天才画家 中村正義」展(1980年、豊橋市美術博物館)、「反骨・奔走の偉材 中村正義」展(1983年、神奈川県立近代美術館)、「中村正義 日本画壇の風雲児、新たなる全貌展」(2011年、名古屋市美術館)、「岡本太郎と中村正義『東京展』」(2015年、川崎市岡本太郎美術館)など大規模な回顧展が開催され、また数回にわたりNHKの日曜美術館でも特集が組まれ、評価は不動のものとなった。1988年、中村正義の美術館(川崎市)が開館。

〈 関連情報 〉

略歴
1924愛知県豊橋市に生まれる。
1940病身のため豊橋市立商業学校を中退。
1946中村岳陵に師事、日展に初入選。
1950第6回日展に「谿泉」(豊橋市美術博物館蔵)を出品、特選となる。
1952年にも「女人」で特選を受賞するが肺結核のため1957年まで制作活動を中断する。
1960第3回新日展の審査員となる。
1961川崎市細山に転居。蒼野社をやめ日展を脱退する。
1963個展「男と女」(上野松坂屋・名古屋丸栄)を開催。
従来の画風を脱した野心作30点を発表する。
1964映画「怪談」(小林正樹監督)のため「源平海戦絵巻」5部作(国立近代美術館蔵)を制作。
1966個展「顔の自伝」(日本画廊)開催。
1967直腸癌の手術を受ける。
1969個展「太陽と月のシリーズ」(銀座三越)開催。
1970写楽研究の成果「写楽」(ノーベル書房)を出版。
東京造形大学の日本画講師となる。
1974人人会を結成。第1回人人展(日本橋三越)開催。
1975東京展市民会議を創設。事務局長として奔走。
第一回東京展(都美術館)開催。
19774月16日肺癌のため死去。享年52才。
1980NHK日曜美術館「私と中村正義」放映。
「異端の天才画家 中村正義」展(豊橋市美術博物館)開催。
『中村正義画集』(講談社)刊行。
1983「反骨・奔走の偉材 中村正義」展(神奈川県立近代美術館) 開催。
1988川崎市の自宅を中村正義の美術館としてオープン。
1993NHK日曜美術館「現代日本画の出発 中村正義」放映。
1997「没後20年-中村正義」展。(豊橋市美術博物館、
川崎市市民ミュージアム、新潟美術館)開催。
1998中村正義の美術館10周年の記念として『創造は醜なり』
(中村正義 著/美術出版社)刊行。
1999NHK新日曜美術館「拝啓 中村正義さま」放映。
2005TV東京 美の巨人たち 「100枚の自画像」放映
2024「生誕100年 中村正義展 + 小さな从展 2024」(不忍画廊)

 取扱作品


現代の女

1960年代
紙本、着彩
H33.5 × W24.5 cm

『うえの』1970.9月号表紙


自画像

1960年代
色紙、ミクストメディア
H32 × W23 cm

・「ランカイ屋 東介の眼展」出品
・『うえの』1966.3月号表紙


舞妓

紙本、着彩
H22 × W15 cm


 関連記事