池田 満寿夫|Ikeda Masuo

池田 満寿夫 Ikeda Masuo(1924 – 1977)

国際的な版画家、画家、彫刻家、陶芸家、芥川賞作家、エッセイスト、浮世絵研究家、脚本家、映画監督など多彩な顔をもつマルチ・アーチスト。1934年、旧満州国奉天市に生れ、終戦によって母を長野市に引きあげる。長野北高校(現・長野高等学校)を卒業。在学中に第1回全学生油絵コンクールでアトリエ賞を受賞。画家、彫刻家をこころざして東京芸術大学を受験するが、三度とも失敗。上京後は夜の盛り場で似顔絵を描いて生活しながら、19歳で初めて自由美術協会に入選。その後、画家・瑛九のすすめで色彩銅版画をはじめ、1957年、第1回東京国際版画ビエンナーレ展に入選。1960年、同展の国際審査員ヴィル・グローマン博士の強力な推薦によって文部大臣賞を受賞して一躍脚光を浴びる。1961年、はじめて銅版画の個展を上野・不忍画廊で開催。1962年第3回東京国際版画ビエンナーレ展で東京都知事賞を受賞、同展の国際審査員ウィリアム・S・リーバーマンに認められて、1964年国立近代美術館賞を受賞、1965年ニューヨーク近代美術館で日本人初の個展開催。その間、パリ、サンパウロ、リュブリアナ、クラコウなどの国際版画展で受賞をかさね、1966年、32歳で棟方志功についでヴェネチア・ビエンナーレ展の国際版画大賞を受賞、版画家として最高の評価を得る。翌年、芸術選奨を受賞。内外ともに注目され、世界各地として制作、発表の機会が急増するとともに、ニューヨークと東京にアトリエをかまえ、版画のほかにコラージュ、水彩/フロッタージュなど多彩な制作活動を展開する。同時に文学への傾倒もすすみ、1977年、小説『エーゲ海に捧ぐ』で芥川賞を受賞。このことから芸術活動は多方面にわたる。1983年、作陶をはじめ、陶芸の伝統に挑戦、大型のモニュメンタルな陶彫をてがけ、作者自身によれば、「日本回帰」がはじまる。さらにパブリックな場での仕事も目立つようになる。国立国会図書館のタピストリー・コラージュ、佐久市立美術館ロビーの陶壁、狭山市庁舎の陶壁、1998年の開催される長野オリンピック記念アリーナ「エムヴェーブ」前庭にモュメント設置、静岡県賀茂郡賀茂村「クリスタルパーク」(本年4月開館)のブロンズ彫刻などはその代表作。
1996年、福岡県大野城市「大野城まどかぴあ」館長に就任するも、1997年3月8日、熱海市・海光市のアトリエにて永眠。1997年4月より多摩美術大学版画科教授に就任など制作以外の活動も活発となる予定であった。

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池田満寿夫と不忍画廊・荒井一章
同窓会にて

略歴|Biography

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1934旧満洲国奉天(現・中国遼寧省瀋陽)に生まれる
1945万里の長城がある中国・張家口で終戦を迎え、12月に母の郷里長野市に帰る
1948夏期講習会に参加し、モデルの少女を描いた油彩を講師の彫刻家石井鶴三にほめられて自信をつける
1951第1回全日本学生油絵コンクール(毎日新聞社主催)で、油彩「橋のある風景」(池田満寿夫美術館蔵)《アトリエ賞》受賞
1952長野北高校(現・長野高校)卒業。東京藝術大学油絵科を受験するが不合格
画家を志して上京、生計のため盛り場を回って似顔絵を描く
1954東京藝術大学彫刻科を2年連続して受験するが不合格
自由美術家協会展で油絵が落選し、以後公募展に出品せず
1955靉嘔、眞鍋博、堀内康司とグループ「実在者」を結成
ダダのフォトモンタージュを雑誌で見てコラージュを手掛ける
11歳年長の下宿の娘と結婚
1956瑛九の助言で、色彩銅版画を始め、エッチング、アクアチントを手掛ける
1957第1回東京国際版画ビエンナーレ展(国立近代美術館、読売新聞社共催)公募部門に入選
1958豆本制作を始める
1960H氏賞を受賞した詩人・富岡多恵子と同棲する
ドライポイントを再び手掛け、水墨画をヒントに独自の線描を確立
第2回東京国際版画ビエンナーレ展招待出品で《文部大臣賞》を受賞し、審査にあたったドイツの美術評論家ヴィル・グローマンが「日本の能面に通ずる簡潔な美がある」と評する
1961上野・不忍画廊で初の銅版画個展開催
第2回パリ青年ビエンナーレ展で版画部門《優秀賞》受賞
1962第3回東京国際版画ビエンナーレ展で《東京都知事賞》を受賞し、国際審査員のウィリアム・S・リーバーマンに認められる
1964第4回東京国際版画ビエンナーレ展で国内大賞に当たる《国立近代美術館賞》受賞
1965川端康成原作、篠田正浩監督の映画「美しさと哀しみと」の中で、オランダ人画家ボッシュの絵に似た水彩画を描く
第6回リュブリアナ国際版画ビエンナーレ展《入賞》
池田満寿夫の版画展(ニューヨーク近代美術館)開催(東京国際版画ビエンナーレ展の審査員を務めたウィリアム・S・リーバーマンが企画)
1966中国系米国人の画家リランと出会いロサンゼルスで同棲を始める
第1回クラクフ国際版画ビエンナーレ展《入賞》
第33回ヴェネツィア・ビエンナーレ展版画部門《国際大賞》受賞
銅版画の技法メゾチントを手掛け、初めてリトグラフを制作する
1967芸術選奨文部大臣賞を受賞
グローマンの推薦でドイツへ留学し、ヨーロッパ各地の工房で版画制作を試みる
1970第17回アメリカ国内版画展(ブルックリン美術館)《入賞》
1972初の本格的な画集『池田満寿夫全版画作品集』(美術出版社)刊行
米国イースト・ハンプトンにアトリエを構える
1976『野性時代』編集長の誘いで、ホテルに缶詰になり、小説『エーゲ海に捧ぐ』を5日間で執筆
1977『エーゲ海に捧ぐ』が《芥川賞》に選ばれる
1979初監督作の映画「エーゲ海に捧ぐ」が完成
イースト・ハンプトンを引き揚げ、帰国する
1980池田と佐藤陽子の「新しい門出を祝う会」が催される
1981「池田満寿夫25年の歩み 自選125点」展開催
映画2作目「窓からローマが見える」を制作
1982東京から熱海市海光町へ転居する
1983静岡県下伊豆町の岩殿寺窯で初めて作陶する
1984初の陶芸展を東京、高島屋日本橋店で開き、約120点を発表
NHK総合テレビの推理ドキュメント番組「謎の絵師・写楽」で「写楽は役者中村此蔵」と発表
1986熱海市下多賀にガス窯と電気窯を備え、版画用プレス機を備えた「満陽工房」(広さ約100坪)を設立
1990池田の助言で、山梨県増穂町に増穂登り窯が開窯、翌年から登り窯や穴窯で焼成を試みる
1993薪窯で野焼き風に焼成できるよう、増穂登り窯の敷地内に自ら考案した薪窯「満寿夫八方窯」を築窯
(池田は作品表面に灰が付いたり、“火前、火裏”が分かるような作品は嫌いだった)
19952年かけて制作した般若心経シリーズの作品を発表
京都市、清水寺で、阪神・淡路大震災の犠牲者鎮魂のため、縦4m×横7mの和紙に「般若心経」の経文を揮毫
1997最後の陶の作品「土の迷宮」シリーズを焼成する
3月8日、急性心不全により死去
死後、新聞各紙には「多彩さが日本での評価妨げ」など池田を悼む美術評論家らの原稿が掲載される

《没後の主な展覧会》

2000「池田満寿夫展」(産経新聞など主催)
2002「黒田コレクションから 版画家 池田満寿夫の世界展」(日本経済新聞など)
2008「池田満寿夫 知られざる全貌展」(毎日新聞など主催)

《没後の当画廊での展覧会》

1997「オマージュⅠ・EROTICS 1960-1997」展
1998「オマージュⅡ・1960年代と1990年代」展
1999「オマージュⅢ・女の肖像」展
2000「オマージュⅣ・色彩の美学」展
2001「オマージュⅤ・アメリカ時代」展
2002「オマージュⅥ・MASUO EROTICA」展
2003「オマージュⅦ・MASUO&JAPAN」展
2004「オマージュⅧ・池田満寿夫の知られざる絵画」展
2005「オマージュⅨ・池田満寿夫×WOLS」展
2006「オマージュⅩ・IKEDA MASUO BLACK&RED」展
2007「オマージュXI ・没後10年特別展“THE IKEDA MASUO”」 展
2008「オマージュXⅡ・アートになった落書き」展
2009「オマージュXⅢ・生誕100年浜口陽三×生誕75年池田満寿夫」展
2010「オマージュXⅣ・オマージュ池田満寿夫」展
2011「オマージュXV・春画と、ピカソと、池田満寿夫」展
2011「オトナノラクガキ・池田満寿夫×安元亮祐」展
2013「池田満寿夫“1966”展」
2014池田満寿夫と、斎藤真一と、長谷川利行 名作×名作×名作による“実験展示”
2015池田満寿夫と新★世★代-田沼利規・見崎彰広-展
2016池田満寿夫×3人の黒いヴィナス成田朱希/さかもと未明/小林美佐子
2017

没後20年池田満寿夫展 ―舞踏・ダンス・身体について―

2019

RED & BLACK 斎藤真一 × 池田満寿夫 × ルオー

2022

池田満寿夫の“知られざる芸術” ~没後 25 年を考える

オマージュ 池田満寿夫
池田満寿夫と関係の深い方々のテキストや連載コラムなどをご紹介しています。

ブログ
池田満寿夫と会長荒井一章のエピソードを載せています

《池田満寿夫作品 常設展示館》
池田満寿夫記念館(静岡県熱海市)
池田満寿夫 創作の家 (静岡県熱海市)
◎池田満寿夫記念ギャラリー ※アポイント制

※池田満寿夫美術館(長野県松代市)は2017年7月に閉館いたしました。

取扱作品|Artworks

《虹を飲む女》

1965年 銅版画(ドライポイント、ルーレット、エッチング) 34×36.5cm ed.30 額付

文献:「版画家 池田満寿夫の世界展 : 黒田コレクションから」(日本経済新聞社、2002年)No. 496
長野県立美術館 所蔵

《夏の夢》

1966年 銅版画(ドライポイント、ルーレット、ビュラン) 46×40.5cm ed.EA 額付

「版画家 池田満寿夫の世界展 : 黒田コレクションから」(日本経済新聞社、2002年)No. 504
1966年 第33回ヴェネツィアビエンナーレ展《グランプリ》受賞作

「…1965年の夏渡米しホテル住まいを始めた頃、ビエンナーレ展の日本作家に選ばれた。ホテルでは硝酸が使えずバラ模様は電動ドリル、大きな面はルーレットの点の集積。ホテルの壁紙からゴミ箱、商店の包装紙など私にとってアメリカの花はバラだった・4人の水着の女は広告写真から。友人は「マスオのアールヌーボー」と言った。」池田満寿夫(日本ポケットギャラリーより・抜粋)

《天女乱舞(六曲一双屏風)》

1988年 リトグラフ(六曲一双屏風仕立て)、左端に直筆タイトル(金彩文字による書)有 114×314cm ed.XV(ed.75)

親友・澁澤龍彦へ捧げたオマージュ作品。着想は西陣織の打掛けをレリーフ、コラージュして制作された同名の大作「天女乱舞」(池田満寿夫美術館所蔵)。うち15部(XV部)のみが六曲一双の屏風仕立てにされた。

「版画家 池田満寿夫の世界展 : 黒田コレクションから」(日本経済新聞社、2002年)No. 969~973
展示歴:「池田満寿夫 空からのおくりもの」(2011 パークホテル東京)

《マヌカン》

1988
リトグラフ
66×40.5cm
ed./50

《天平時代 A》

1989
リトグラフ
66×51cm
ed./80

《うさぎ》

1980
リトグラフ
65×50cm
ed./50

《夕》

1989
リトグラフ
65.2×50.2cm
ed./80

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