箕輪千絵子展 “言葉を得た牛” (小展示…「線の力/ Hヤンセン、ヴォルス他」)

[ 2015年9月16日 ]

「言葉を得た牛」2015 エッチング、雁皮刷り ed10 300×295㎜

2015.10/2(金)~17(土)  11:00~18:30 日祝休廊

★ オープニングパーティ:10/3(土) 16:30~18:30
★ 在廊日:10/2,3,6,10,13,17
ブックレット「CHIEKO MINOWA」刊、B5版、カラー12頁 540円

人とケモノを独特の有機的な線描(時に色彩)で絡ませ崇高な存在として獣人を描いてきた箕輪千絵子による東京初個展。

件(くだん)に憧れたことは一度もない。
「こうはなりたくない」と思いながらも、あの形が頭の中に焼きついて忘れられない。

きっと奇妙で醜いものは魅力的なのだ…箕輪千絵子  

牛の体と人の頭部を持ち、大預言をして三日で死んでしまう怪物「件(くだん)」をモティーフにした銅版画、ミクストメディアなど25点程出品。

箕輪千絵子略歴

[ 箕輪 千絵子 ] 箕輪千絵子 作品リスト

[ 2015年9月29日 ]
言葉を得た牛 彼は言葉を持たない 私は嘘をつかない 悲しみがいつも正しいとは限らない 神のつかい


ずっとこの場所にいたのか 何も言わなかった 祈り 白く濁った目をしていた 回帰

[ ブログ ][ 箕輪 千絵子 ] 箕輪千絵子展 “言葉を得た牛”:会場風景

[ 2015年9月21日 ]

聖なる獣人はいつも、人の身体に動物の顔を持つ。彼らは神聖な生き物であるが、人間の身体というものが神聖さを持つのだろうか。
一方、件は獣の身体と人の顔を持つ。件は決して神ではなく、妖怪と位置づけられており、奇妙で崇められることはなく、ただ不気味な存在なのだ。獣の身体を持つことは何故か醜い。けれども、それは人間そのものの姿のように私は思う。

神聖な獣人は、私にとっては他人のように遠い存在であり、相容れないものだ。
崇高さへの憧れでもある。
件に憧れたことは一度もない。「こうはなりたくない」と思いながらも、あの形が頭の中に焼きついて忘れられない。きっと奇妙で醜いものは魅力的なのだ。

箕輪 千絵子



↑ 左:「心臓の音が聴きたい」2010年 エッチング、雁皮 80×67cm
右:「生れ出づることは」2008年 エッチング、雁皮 80×67cm


↑ 左:「神のつかい」2013年 メゾチント、雁皮 20×15cm
右:「見てはならぬ」2013年 メゾチント、雁皮
ルーレットという道具を使ったメゾチントの作品。目立てる面が少ないため、ドライポイントの線のような荒くも有機的な黒地になる。
少し怖いけれど、ユーモラスにも見える箕輪作品の魅力(魔力)。

↑ 左から:「覆い隠す」43.2×33㎝ 「回帰」24.2×33.3cm 「浸食」36.5×30cm 「享受」36.5×30cm
全てパネル、和紙、銅版画に水彩、2015年制作

↑ 「最初で最後の一言」2014 エッチング、雁皮 20×29cm
右は原版と愛用の道具類。使いこまれています。

↑ 上:「何も言わなかった」2014年 エッチング 15x13cm
下:「言葉を与える」2013年 エッチング、アクアチント、雁皮 14.2x14.2cm

↑ 左から「KUDAN Ⅲ」「KUDAN Ⅱ」「KUDAN Ⅰ」
全て パネル、和紙、銅版画に水彩、色鉛筆 15.8×22.7cm 2014年制作

↑ 左から:「何故この場所にいたのか」2015年 エッチング、雁皮 24×20cm
「ずっとこの場所にいたのか」2015年 エッチング、雁皮 24×20cm
「食」2013年 エッチング、雁皮 55×39.8cm



↑ 左:「なんだか死にそうにもない」2013年 パネル、和紙、銅版画に水彩 36.5×51.2cm
右:「吠える」2015年 パネル、油彩 41×31.8cm
と在廊中の箕輪千絵子さん

本展ではブックレットも刊行
巻頭には美術評論家の相馬俊樹氏による評が寄せられています。
全文は下記リンクより。
聖闇の彼方へ 箕輪千絵子の件について
 件という妖怪は、人の顔をした牛、すなわち人面獣である。これは、動物の顔に人身といった獣面人にくらべ、動物性がより強く際立った印象を与えるだろう……..

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