二階武宏展“刻線の迷宮” 小展示室にて:藤田典子新作展“ghost fossils”

二階武宏  恣意(しい)-迷宮  2018  木口木版  375×355   ed35  シート¥75,600 額付 ¥88,560

会期:2018 11/5(月)-17(土) 11:00-18:30 12(月)休廊

作家在廊日:11/10(土)・11(日)

樹齢400年以上の椿の原板に4年ぶりに挑んだ最新作「恣意(しい)―迷宮」を中心に
東京未発表の木口木版画、ドローイング新作、油彩画など25点程展示いたします。

 

現代日本の美術界では数少ない木口木版の使い手として知られる二階武宏は、威容に満ちた原初的神獣をも髣髴とさせる綺想異風の幻獣を、選び抜かれた生木の切断面に刻み続けてきた。今までに積み重ねられたそのイメージの集成、いわば特異な幻想動物誌は細部にまで秘技を操る版画家の手の神経が及ぶがごとく、われわれの日々眺める現実を超えた鮮明と明晰を湛えて見る者をもう一つの現実へと覚醒した。このたびの新作では二階はさらに鮮明・明晰を突き詰めて、迷宮感覚をも惹起させるに至り、異域への道程を強固にしようとする意欲が伺われる。
一方、新作の油彩では、始原における生命の木や無定形の物質の誕生のテーマも見られる。実のところ、かつての幻獣画においてもすさまじい原初的発生のエネルギーは常に秘められていた。このテーマが二階の制作意識をいかなるベクトルへと導くのか、今後の活動も期待に胸膨らむばかりである。

美術評論家 相馬俊樹

 

   

二階武宏 左:影-貌-頭  2018  紙、インク 260×235  作品価格¥54,000 sold  /  右: 輝笛 tw-1  2018  木口木版、箔、手彩色  175×140  額付¥58,320 soid

小展示室にて:藤田典子新作展“ghost fossils”

藤田典子 cage 2018  エッチング 145×100 ed20 シート¥16,200 額付¥24,840

作家在廊予定日:10日

個展によせて
私たちが生きる現実世界は、日々様々な物や情報を加速度的に増殖させながら過ぎ去っていきます。しかしその実態は不確かで曖昧なものであり、いつもどこか空虚感が漂っているように感じています。自身の作品にはシルエットのみとなった顔のない人物が登場します。彼らはそうした不確かなものに対し、前向きに立ち向かうでもなく傍観しており、現代社会において希薄化、空洞化する自己の象徴のようでもあります。過ぎ去っていく空洞のような日々を直視しつつ、それを受け入れる潔さのようなもの、諦観の境地ともいえるようなものを求めています。
本展覧会では、不安、もがき、諦めといった、落ちてしまった深い穴の中から空を見上げるような感覚を抱えながら、その先にあるものを求める人々の姿や痕跡を投影した作品を出品いたします。

藤田典子

 

Ghost fossils シリーズ1~8 2018 雁皮紙,ドローイング、植物、樹脂、トレーシングペーパー 140×110 桐箱入り¥12,960

Ghost fossils シリーズによせて
-制作の原点である「事実の記録」としての点描表現について-
空想世界の人物とその痕跡を樹脂で固めて化石のようなものを作成し、さらにそれを観察しスケッチを行いました。
私の制作の基軸となっている銅版画表現では、主に点刻方法を使用しています。初めて点描で絵を描いたのは小学校の理科の授業での生物スケッチであり、その記憶が現在の細密表現に深く影響しています。
生物実験におけるスケッチはデッサンのように写実的、立体的に描くことではなく、誰が見ても同じ構造が認識できるよう、点と線のみを用いて重要な特徴や形態を記すものです。スケッチの方法には規定があり、今でもそれを応用して制作に取り入れています。例として、輪郭や境界線は一本の線で表すこと、濃淡や陰影は車線や塗りつぶしではなく点描の粗密で表すことなどです。こうしたルールのもと、部分の構造を重視しながら全体の事実を正確に表現することを目的とした生物スケッチは、眼で見た実物とは大きく異なりズレがありますが、「事実の記録」であるといえるでしょう。
顕微鏡を覗きながら慎重に一粒ずつ事実を描いた時の記憶が、パッチワークのようにディテールを連続させ、結果的に部分の集合体としての絵画空間を作っていく自身の表現方法の原点となっています。そして私の制作動機である空想世界の具体化を実現させる方法に繋がっています。

藤田典子

 

 

藤田典子の作品には、しばしば、少女たちが眩暈を誘うような細かい襞状の洞窟迷宮に囚われているといった情景が描かれる。だが、そこにただロマンティックでロリータ・テイストの「幽閉の美少女」を見るのは、おそらく早計というべきだろう。
藤田の少女らはほとんどすべて顔のない(あるいは見えない)、ある種のコレー(少女神)的少女であり、その広大な幻想洞窟は冥界を思わせる。極めて多くの太古民族・未開民族が死の神によって冥界へと強奪される少女の神話を伝えているが、神話においては少女と死の結びつきが強調される一方で、「死の中の生」(エウリピデス)、すなわち死と新生の結合という救済も記されている。実をいえば、藤田の銅板作品にも同様に冥界からの脱出と解放の予感は常に刻まれてきたのである。

美術評論家 相馬俊樹