寺田 至|Itaru Terada

寺田 至|Itaru Terada(1951 – 2014)

1951年12月21日、愛媛県西条市で生まれる。1974年大阪芸術大学美術学科絵画専攻卒業、1975年東京藝術大学大学院(絵画組成)聴講生。旅先の風景や、身近な事物・人物を題材に、大胆な画面構成と一筆で描き上げる軽妙なタッチで、対象の息吹が感じられる多くの作品を生み出した。2014年9月12日、癌により死去。2018年羽黒洞(東京)、ギャラリーかわにし(愛媛)での遺作展がコレクター、美術関係者で話題となる。

「至は丸くて機械で動くものが大好きだと言い、欧米の古いカメラ、管球式のオーディオ機器、マニュアル運転の車に並外れた興味を持ち、それを手にして楽しみました。生活面では、高校及び中高一貫校の美術講師として長年勤務。生徒たちに好かれました。生涯、美術団体には所属しませんでした。部屋に残された沢山の作品が誰の目にもふれられず埋もれてしまう。私が見ている絵はこんなに魅力的なのに・・・未発表の絵画を展示することにしました。」 2018年 羽黒洞『寺田 至 展』に寄せて 寺田由紀子

略歴
195112月21日愛媛県西条市に生まれる
1955父(實)が直腸癌で死去
1974大阪芸術大学美術学科絵画専攻 卒業
1975東京藝術大学大学院(絵画組成)聴講生
1976結婚、川崎市中原区小杉陣屋町
1979個展(西銀座画廊)
1980横浜市保土ヶ谷区に転居、個展(ギャラリー玉屋)
1982個展(シロタ画廊)
1983個展(スペース・ニキ)、(シロタ画廊)、グループ幻象展(東和画廊)
1984個展(大手町画廊)
1985個展(シロタ画廊)、(アベ・ギャラリー)
1990個展(ギャラリー福山)
1991個展(プランタン銀座 主催:ギャラリー・セピア)
1992個展(柏そごう 主催:ギャラリー・セピア)
1993個展(横浜そごう 主催:ギャラリー・セピア)
2000母(勝子) 筋萎縮性側索硬化症で死去
2003川崎市多摩区中野島に転居
2005春、イタリア旅行
中野島に転居以降、テンペラ画やアクリル画から油彩画へ
2013癌による闘病
20149月12日死去
2018「寺田 至 展」(羽黒洞、ギャラリーかわにし)
2024「知られざるモダニスト 寺田 至 展」(不忍画廊(東京)、みさき画廊(大分)、
ギャラリーかわにし(愛媛)、豊田画廊(愛知)巡回予定)
「“愛でる” 100年後のアンティーク 知られざるモダニスト ITARU TERADA Selection」(不忍画廊)